自己責任論と社会保障

今回は自己責任論と社会保障に関する雑記になります。

近代の社会保障制度のはじまりは19世紀のドイツの政治家のビスマルクが作ったと言われています。

社会保障制度は主に民生の安定、社会の発展のサポート、相互扶助の機能の代替を図るものとして機能するものです。

もしも社会のすべてが競争に明け暮れていたら、勝者は敗者を踏みにじり、敗者は安定した生活を得られなくなります。

勝てなかった敗者は団結して勝者を打ち負かそうと、反乱や暴動を起こすかもしれません。

そのような事態を避けるために適切な再分配を行って、すべての人々が最低限安定した暮らしができるような制度が必要であり、社会保障制度はそこに大きな役割を果たします。

年金や生活保護があるおかげで、仕事を引退した高齢者や、何らかの事情で働けなくなった人々でも生活を保つことができます。

医療や介護といった制度は、自分が怪我や病気になったり、高齢になって自立的な生活が難しくなった場合に必要なものであり、社会を支える上では必須のものです。

安定した医療や介護を維持する上で社会保障制度は重要であり、私たちが支払う保険料と政府の公金によって、医療や介護の自己負担が減り、多くの人々が過度な出費を免れることができています。

現代の日本社会では、多くのことが自己責任で片づけられる風潮があると言われています。

ですが、たとえば、どれだけ良い教育を受けられるか、健康で長生きできるかといったことは、すべて自己責任に帰することはできません。

良い教育が受けるには、本人の努力だけでなく親の資産が必要ですし、健康で長生きするには、発達した公衆衛生と良い医療、また安全な食べ物や住環境が提供される必要があります。

親の資産や公衆衛生などに恵まれるかどうかは、その人個人の生まれてからの努力や意思とは関係ありません。

犯罪を犯す人々の中には、生まれ育った家庭環境が悪かったり、悪い友人や集団が身近にいたことで犯罪に至ったというケースも多いと思います。

そうした人々はもっと良い環境に生まれ育っていれば犯罪を犯さなかった可能性が十分にあり、犯罪を犯すに至る過程を調べてみれば、すべてをその人たちの責任にするということは難しいと考えられます。

自己責任という考え方は一定の文脈の中では必ずしも間違ってはいませんが、社会の中でより良い暮らしや環境を作り上げ、人々に提供していく上では、すべてを自己責任に帰しては問題解決につながりません。

ある人々が貧しかったり、不健康であるのは自己責任だから私たちにはまったく関係ない、という考え方は間違っています。

社会の中ではお互いがお互いに影響を与え合い、支え合って生きていく関係であり、何もかも自己責任であるとして、そうした課題を無視したり放置することはできません。

仮に、すべてを自己責任として貧困や不健康などを放置すれば、自分自身が何らかの事故や病気でそうなった場合に救済してくれる制度はなく、そこで豊かな人生を送る道筋が閉ざされてしまいます。

貧困を放置すれば治安が悪化して犯罪に巻き込まれる可能性が高まるかも知れませんし、それは社会が安定して発展していくための下地を損なうことにもつながります。

社会保障制度はそうした貧困であったり、健康を損なった人々を救済するための体系であり、人類の歴史の中で、社会の中の共助やセーフティネット機能として大いに機能してきました。

人が病気や怪我、勤めている企業の倒産、失業などで生活の安定が揺らいだ時に、セーフティネットである医療や生活保護などがあれば、また再チャレンジすることが可能です。

セーフティネットが存在しないと、新しい事業や活動を行う際のリスクが大きくなり、安心してチャレンジができない社会となって、産業や経済の発展も阻害されてしまいます。

セーフティネットというのは、誰にとっても必要なものであり、そのシステムをないがしろにするのは危険です。

私たちは、自身の生活や健康の安定をまず第一に考えますが、自身になにかあった時のリスク回避のためにも、社会保障制度のセーフティネットを作っておく意義は大きいです。

同時に、貧しかったり病気で苦しむ人々を救済する社会保障制度に人々の税金や保険料を注ぎ込むことは、そうした人々を助けるとともに、貧困や病苦を放置せず社会の安定を保つことになり、自身にとっても暮らしやすい社会を作るのに役立ちます。

今後、少子高齢化によって、保険料や年金の支払いの負担がより増大することが予想されます。

その時に、社会保障制度そのものがバッシングを受ける可能性もないとは言い切れません。

社会保障制度自体は私たち自身の暮らしと社会を保つためには欠かせないものであり、制度そのものをなくすことは社会の基盤を破壊することにつながります。

多くの人々が恩恵を受けることのできるこの社会保障制度をなくすことはできませんが、現役世代の負担をあまりにも増やしてしまっても社会がもたなくなってしまいます。

いかに現役世代の負担を増やし過ぎないようにしつつ、現行の社会保障制度を存続させていくかという点で、今後、日本社会は大きな試練を経験することになると思います。

少子高齢化への対策、社会保障制度の改革、社会保障制度を支える経済を発展させるための政策といったものがカギになってくると思いますが、経済的に衰退しつつある現在の日本がこうした取り組みに成功できるかどうかは分かりません。

しかし、今の子供たちやその次の世代のためにも、ここで失敗を重ねることのないよう、国民一人一人が今の政府や省庁の動きに注目していく必要があると思っています。

ここまで読んで頂き、ありがとうございました。

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