今回はウクライナ侵攻の当事者であるロシアのプーチン大統領について、こちらの著作を参考に記事を書いてみます。(最近、健康とは別の話題の記事が多いですが…)
2022年のロシアによるウクライナ侵攻を目の当たりにして、欧米の多くの人々はプーチン大統領の正気を疑いました。
当初、プーチン大統領は何らかの重病に侵されているのではないかといったことも噂されていました。
ですが、ウクライナ侵攻後、プーチン大統領がロシア外相の発言を巡りイスラエルに謝罪を行った報道などを見ると、正気を失ったわけではなく、基本的には理性的な姿勢を貫いているように見えます。
プーチン大統領は、もともと欧米諸国の政治家とは異なった理論や考え方で動いていると考えた方が良さそうです。
今回参考にした著作によると、プーチン大統領は、現実主義者で特定のイデオロギーを持たず、保守主義の立場を取っていると言われています。
彼は、新聞やインターネットの情報を信用していないとのことで、普段から新聞を読まず、インターネットも見ないようです。
プーチン大統領に情報を与えているのは彼と個人的に親しい人々であり、調書やファイルの形で情報を届けていると言われています。
プーチン大統領は、かつてのソ連の共産主義には批判的ですが、ソビエト社会の基本的価値観を全面的に受け入れており、愛国心が強い人物です。
もともとKGBと呼ばれる秘密政治警察組織で働いていた彼は、スパイ活動を通じて「人の話を聴いたり、人のことを理解する能力」を養い、自身を「人間関係のスペシャリスト」と称していたことがありました。
プーチン大統領は1991年のソ連崩壊を不幸な出来事して捉え、冷戦終結以降、西側諸国が民主主義を旗印にロシアの行く手を阻んでいると認識しているようです。
大統領就任直後の時期はプーチン大統領は自由主義を受け入れ、他の国々と対立する意思はないと表明していました。
しかし、その後旧ソ連に属していたバルト三国が欧州連合に加入し、徐々に西側諸国への反感を表すようになります。
もともとソ連時代にあった「力」が最も重要だとする考え方を受け継いでおり、経済的には自由主義の論理を取り入れても、政治的には西側諸国の自由主義や民主主義とは相容れない考え方を持っているようです。
大統領に就任した当初、プーチンを支援したオリガルヒという新興財閥はプーチンを利用しようという意図があったようですが、プーチン大統領によって逆に主要メンバーが弾圧、投獄されています。
プーチン大統領は柔道家であることは有名ですが、彼は柔道のやり方で政治を行っているとも言われています。
相手に対して、敬意を払いながら、相手の反応を待ち、相手のバランスを崩すにはどのような力を使えば良いか見極める術を意識しているということです。
プーチン大統領はイワン・イリインという哲学者の言葉をよく引用しており、イリインは「国家には強い指導者が求められる」、「悪に抵抗するためには、時には力を用いることが必要」、「西側諸国のような国民の欲望追及を肯定した政体ではなく、責任感や他者への奉仕の心を主軸とした自由主義的な専制が望ましい」、「ロシアは歴史にとって必要とされたために成立した国」といった考えを持っています。
このイリインの考え方にプーチン大統領は深く傾倒し、側近にもイリインの著作を読むよう勧めています。
2003年にジョージアで親米派のミヘイル・サアカシュヴィリが大統領に就任し、2004年にウクライナで親ヨーロッパ派のヴィクトル・ユシチェンコが大統領に就任したことを受け、プーチン大統領は、旧ソ連の一員であった国々が西側につく流れが生まれつつあり、これらはアメリカの陰謀であると決めつけます。
西側諸国は独自の文化を失い、善と悪の両方を重んじるような、道徳観が崩壊した状況に陥っているとプーチン大統領は演説で述べます。
ロシアはロシア正教を中心としたキリスト教の信仰を大切にしており、信仰においてヨーロッパの伝統的な国々のリーダーとなって「反キリストに戦いを挑む」こと、またロシアがユーラシア大陸の周辺の諸国のまとめ役となることをプーチン大統領は意識しているようです。
ただ、こうした思想を背景としながらも、あくまで現実を見据えて動くのがプーチン大統領とされています。
ロシアは2008年にはジョージアに侵攻し南オセアチアとアブハジアという2つの地域を分離させ、2014年にはクリミア半島併合と東ウクライナ戦争への軍事介入を行いました。
これらの行為を世界各国は正式に認めていませんが、実質的にはロシアが旧ソ連に属していた国々の領土を獲得し、西側諸国も手出しができないという状況を作り出していることから、プーチン大統領のやり口は非常に巧みであると言えます。
プーチン大統領はかつての強いソ連の復活を目指していると言われています。
NATOの東方拡大に対して強い警戒感を示し、1999年にNATOがセルビアに対して戦争を仕掛けたことを契機に、イラク戦争を起こしたアメリカも含めて西側諸国への非難を強めてきました。
ウクライナに対しては、もともとロシアとウクライナがキエフ大公国を起源としているという歴史的解釈をもとにロシアとウクライナには国境があってなきがごとしと考えていたようです。
ウクライナがNATOに加盟しようとする動きに対して、プーチン大統領は本来同じ国であるはずのウクライナが西側諸国につくことは許されないと考え、今日のウクライナ侵攻に至ります。
その理由にはロシアの安全保障や領土的野心に加えて、プーチン大統領の歴史観も加わっていると考えられます。
2021年7月にプーチン大統領はWebサイトに「ロシアとウクライナの歴史的な同一性について」と題された文章を投稿します。
そこには、「『ウクライナは固有の民族によって構成される国家で、ロシアとは敵対する国だ』などという主張は、我々ロシア人にとっては実際の武力攻撃と同じくらいの侮辱である」と書かれています。
ウクライナ侵攻前の時期、プーチン大統領はよく歴史の話をするようになり、「ロシアからウクライナという国を切り離したのはレーニンである」、「レーニンはウクライナのナショナリストに譲歩した」、「レーニンの行動は「狂気の沙汰」であった」といったことを述べています。
そして、「ウクライナのナショナリズムはロシアへの激しい反発、ネオナチ体制という形をとった」と話し、ウクライナの過激派が2014年のウクライナのマイダン革命を引き起こしたと言っています。
プーチン大統領はウクライナ侵攻の目的を、ウクライナの「非武装化」、「非ナチ化」と述べています。
ですが、ゼレンスキー大統領がナチズムの犠牲者であったユダヤ人であることなどには触れていません。
ウクライナが民族のアイデンティティを持ち、自分たちの選択で西側諸国に加わろうとする姿勢を見せている以上、本来ほかの国がその選択を止められるものではありませんが、プーチン大統領のこれらの発言からロシアはウクライナをそもそも1つの国家と見なしていないということになります。
なお、ウクライナ侵攻の一番の大きな理由は、ウクライナがNATOに加入するとロシアにとっての緩衝国がなくなり、安全保障上のリスクが増大するからと言われています。
プーチン大統領の歴史認識を示した一連の発言はそうした本来の理由とは別に侵攻の正当化を図っているものであり、プーチン大統領自身その歴史認識が正しいものとして疑っていないようです。
以上、「プーチン大統領の思考」と題して記事を書いてみました。
あくまで、ロシアの外部の人が書いた著書なので、その推測がどこまで正しいかは分かりませんが、どんな行動にもそこに歴史的背景や論理があると考えると、こうしたプーチン大統領の発言の背景を学ぶことは無駄ではないと思います。
ここまで読んで頂き、ありがとうございました。