【雑記】上には上がいる

人は他者よりも優位な立場に立つことに快感を感じます。

勉強、仕事、スポーツなどの競技、役職・地位、肩書き、資産、交友関係、名声など…

他人と比べて劣っている状態よりも優れている状態を望むのは人間として自然なことです。

しかし、ネットで情報を得たり、社会に出てみると分かりますが、世の中には驚くような才能の持ち主が数多く存在します。

特定の分野で1番を目指す、あるいは1番でなくても大多数の人よりも上位に立とうとすることは、抜きんでた才能と努力の両方が必要とされるので、容易なことではありません。

資産や地位に関しては、大金持ちの家に生まれた人、王族の出身の人たちは、それ以外の人たちとそもそもスタート地点が異なるので、その人たちよりも優位に立とうとするのは、ほとんど不可能に近いです。

ですので、私たちは基本的には自分の置かれた立場や状況を理解して、自分のできる範囲で努力や競争をして成果を出します。

人によっては、自分に才能がないと思っていても、ふとしたことで自分の中の大きな才能に突然気づくことがあるかも知れません。

または、好きなことに夢中になるうちにいつの間にか他の人よりも飛び抜けた成果を出すこともあるかも知れません。

そういったことは素直に喜ぶべきことですが、もしもまだ自分の立ち位置よりもさらに上にいる人たちが他にいて、その人たちよりも上位に立とうと考え始めると、一気に心に重圧がかかる可能性があります。

何かを純粋に楽しみながら行うのと違って、他の人を追い抜く、他の人に勝ちたいとなると、それは時に大変なプレッシャーを生み出します。

スポーツ選手や受験生の中には、そういったプレッシャーの下で頑張っている方もいるかも知れません。

最終的に競争に勝ち残って、それで満足すれば良いですが、まださらに上位に立つ人物がいて、より上を目指す余地がある、上に行きたいと考えると、そこに終わりは見えません。

常に他人と比較する、他人よりも優れていようとすることは、自分の人生を楽しむ、充実させるのに大きな障害となる可能性があります。

良い大学に入る、一流企業に入る、幸せな結婚をする、なんらかの技術を一流にまで高めるなど、一定の基準を満たすことで満足することができれば問題はないでしょう。

しかし、人間は欲深いので、さらに上位に行く余地があるとなると、人によっては満足せずにさらに上を追い求めます。

ですが、誰もがあらゆることで上位に食い込むといったことはできません。

良い大学に入って、良い職を得て、仕事で大きな成果を出して、立派な肩書きを得て、という人は一定数いるでしょうが、そう多くはありません。

また、どんな分野でも上には上がいるので、求めれば求めるほどきりがなく、トップに立つことだけを追い求めると、常に満足感が得られずに不満足な状態が続いてしまう恐れがあります。

その場合、人生の中で本来楽しめるはずのことが目に入らず、焦燥感にかられるばかりの人生になってしまいます。

また、なんでも優劣をつけたがる人の中には、親や世間が設定する、到達すべき基準に縛られていることもあります。

基準がある方が目標を設定しやすく道を迷わないで済む利点もありますが、その基準は本来は絶対的なものではありません。

基準として考えていたものが、ある時点で自分にとって本当はそれほど大きな意味を持たなかったと気づくこともあるかも知れません。

何が自分にとって本当に意味があって追い求めるべきものなのかは、自分にしか分からないものです。

今の社会で生きる以上、自分の人生を充実したものにするためには勉強、仕事、家庭、技術などにおいて努力してある程度の成果を出す必要はあります。

ですが他人を追い越すために際限なく上を目指したり、到達すべき基準を自分でなく他の人の設定したものに定めることは、心からゆとりを奪い、充実感というものを取り去ってしまう可能性があります。

他人と比べず、ただより高みを目指したいということで自分との戦いを続けるというのも一見悪くはありませんが、心のどこかに優劣をつけたがる気持ちがあるならば、やはり心は余裕を失ってしまうだろうと思います。

これは私見ですが、自分の人生を幸せなものにすること以上に大事なことはないと思います。

その幸せというのは、他人よりも上位に立つことを求め続けることで獲得できるのでしょうか。

常に優劣をつけたがる、競争をしたがる人は一考してもらえたらと思います。

以上、私の個人的な考えなので、必ずしも同意して頂く必要はありませんが、少しでも参考になれば幸いです。

ここまで読んで頂き、ありがとうございました。

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